自分だけの役割


この作品のテーマにこの"-an" or "-ist" の言葉の問題は深く関わりがある。
役者、スタッフというそれぞれの役割を持った者達が集まってひとつのビデオ映画を作り上げるように、私たちは生活のなかで自分だけの役割を求める。
だけど、自分にしかできないこと、なんてほとんどないのだ。それこそ、里志が作中で奉太郎に尋ねられて「レギュレーションの不備を窘め」て、とっさに答えた内容こそ、私にも自信を持って答えられるただ一つの真実のように思えた。


自分(だけ)の役割なんて、大人になっても答えがあるのかどうかさえわからないのに、やっぱり求めてやまない。
愚者のエンドロール』を読んでどう思うのか、私も友達に聞いてみたいなあ。